【大学生がキャリコンのキャリアを聞いてみた】 vol.6
2022.11.03
INTERVIEW
AUTHOR
インターン生 あきら
親でもない、学校の先生でもない、キャリアコンサルタントという存在。
人のキャリアと向き合うキャリアコンサルタントのキャリアとは?
普段は就活相談などを通じて学生と向き合っているキャリアコンサルタント、
学生の話を聞く側の方が、ここでは学生から話を聞かれる側に。
第6弾はキャリアフラッグインターン2期生のあきらがキャリアフラッグの中の人のキャリアストーリーやお人柄を深堀りしてきました!
(第5弾「大村 千恵さんへのインタビュー」はこちら▶︎https://career-flag.co.jp/cms/media/576/ )
今回インタビューをさせていただいたのは、塚本智美さん。
国際線で14年間勤務、CAや教育担当のキャリアを経てキャリアコンサルタントに。
――
キャビンアテンダントからキャリア支援の道へ進まれたのはなぜですか?
塚本智美さん(以下「塚本さん」):
皆さんがキャビンアテンダントとして想像されるような、華麗なとか、いわゆる “国際線のファーストクラスのサービス”とかって、私っぽくないかもな…と少しずつ思い始めていた時期があって。だから、いち客室乗務員としてよりも、組織人としての方が評価を高くしてもらえたなと感じています。組織を動かしていく、という方にすごく興味が出てきたんですね。CAである前に社員の一員であって欲しい、という会社でもあったので、そこが合っていたなと思います。社内の人材公募にも手を挙げました。辞める前の数年は、モヤモヤしていたんですけれど、そこで思わぬ「育成」を任されることになって。私には華麗なとか、素敵なCAを育てる…なんて無縁というか、他の方が適任だよね、と思ってたところを、なぜか任せていただいたんです。
最初は私じゃないですっていう気持ちが強くて、貧乏くじ引いた?ぐらいに思ってたんですけど(笑)、やってみたら人が育っていく姿を見れることが凄く楽しくて。結局、主人が海外赴任をするっていうきっかけで、私も人生で一度ぐらい海外に住んでもいいか、と思って退職しました。
そもそもどうしてCAに?
塚本さん:
佐賀県出身なんですが、当時、堀ちえみさんが主役の「スチュワーデス物語」というドラマがやっていて。その頃は佐賀って空港もなかったんです。なので、飛行機見に行くとなると、福岡や長崎まで見に行く、みたいな。私にとってはそのドラマが、「こんな仕事もあるんだ」とか「かっこいいな」と世界を広げてくれました。なんとなくそこからずっと憧れて、小学校の卒業文集にはスチュワーデスになるってどうも書いていたらしいんです。
当時は周りも、警察官とか弁護士とか、名前の付くような仕事ばかりが選択肢として知られていたんです。学校の先生も。ほぼ公立しかないし、公立が良しとされる土地柄なので、先生といえば公務員なんですね。周りの大人も、公務員になりなさいって勧めてくるような環境で。そんななかで、「やっぱり学校の先生になりたい」とか思うこともありました。
あとは、結局そういう考えの親を納得させるためだけに、教職課程を一応とったんですよね。教員もいいなと思った時期もあったけれど、やっぱり就職活動の時期になったときに、受けないで諦めたくはないという気持ちでした。航空会社を受けるんだったら、じゃぁホテルや旅行会社もかな…っていう、今の学生さんからすると駄目な例なんですけど。たまたま受かったという形で拾ってもらった感じですね。だから今思うと視野を広げられていなかったかなと思いますね。
つまりCAになるために、教員免許を取るための勉強を両立されていたのですね。
キャリアコンサルタントとしてゼロからスタート
海外赴任帯同からのご帰国後、ワークスタイルが一変して大変だったことは何ですか?
塚本さん:
そうですね、キャリアコンサルタントとしてのお仕事を始めるにあたって、最初はやっぱり種まきの時期だったなぁと感じます。だから主人とも約束を決めました。例えば、経済的にだったら「いくらまでをいつまでに稼ぐことを目標に!」とか、家庭内でいろんな決め事をしました。そこを超えても芽が出ないんだったら、「私はキャリアコンサルタントとして才能がないんだろうな」っていうふうに、最初に約束をしました。リミットを決めていたんですね。
キャリアコンサルタントとしてゼロからのスタート、どのように計画をされたのですか?
塚本さん:
前職では社員の育成をしていましたが、人材公募で中学生や高校生の支援に携わったときに、もの凄く成長していく姿を目の当たりにして、若者支援っていいなっていう想いがずっとありました。それで、帰国後にキャリア支援のお仕事を探し始めたんです。
最初はいわゆる就活塾みたいなところにいました。報酬は主婦のお小遣い稼ぎ程度ですよって言われつつ。それでもいいんです!ってやらせてもらいました。「大学生支援をしたい」といっても、その就活のしゅうの字も知らないわけで…(笑)私の時代と全然違うんですよね。そこで、お金をいただきながら、就活のイロハを教えてもらえたのは有難かったです。家庭では、職場の近所に水族館があったので、家族にそこで待ってもらっていました。年間パスポートを買って、仕事が終わったら水族館に私も駆けつけて。少しでも家族の時間をキープしたかったんですよね。種まきを大切にしていたので、最初はそういうところから始めて、その後はご紹介をしていただくことが増えていった感じです。就活塾の関係の方から、「塚本さん大学でやりたいって言ってるよね?」みたいな感じで繋いでいただきました。
ゼロからの種まきー。人とのつながりが大切なお仕事ですね。
塚本さん:
そうですね。ただ人脈は最初は全然でしたよ。養成講座の方々とも、家族とのアメリカ帯同行きで疎遠になっちゃいましたし…。大学生支援がしたいっていう思いだけで、学生支援のための勉強会には飛びついていく、みたいな。熊澤さんと繋がったのも、そういう勉強会とか学生支援向けのセミナーに出たときに、講師の先生が紹介してくださったからなんです。
すごくうまく繋がれたってことですね!確かに言われてみると本当にゼロからよく来たなとは思います…。結局、経験を積ませてもらったから、その経験を評価していただいて、次の仕事をいただくみたいな積み重ねが大切だったのかなぁと思いますね。
編集後記
私が印象に残ったことは、塚本さんのガムシャラさです。両親を説得させるためとはいえ、教員免許をとりつつ、CAになるための勉強も惜しまなかった。まさに両立していらっしゃいました。しかし、それを苦に思っておらず、やり遂げられた。
また、新たな環境で働き始めた際も、特に段取りを決めたわけでもなく、とにかく進んでいくという塚本さんのスタイル。衝撃を受けました。
インタビュー中何度もおっしゃっていた、種をまくという表現。いま芽が出なくても、いつかの日のためにと、思えるからこそ頑張れるのではないか、そう思えました。私の中で、新たな価値観が芽生えた時間であったように感じます。とても貴重な経験となりました。
これからも「親でもない、学校の先生でもない、キャリアコンサルタントという存在」を深堀するべく、キャリアフラッグの中の人にインタビューをしていきます!次回もお楽しみに。